ホコリと砂

お風呂屋さんに行った後の天丼は最高

新潮選書 江戸の閨房術を読んで

渡辺信一郎著 江戸の閨房術を読み終わった。江戸の庶民に色道指南書がこれほどまでに浸透していた事は大きな驚きであった。明治維新で西洋キリスト教的な価値観が入ってくるまで、日本は性におおらかな文化だったのだなとつくづく思った。とくに印象に残った部分を記す。

 

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女陰と男根のランク付け

様々な色道指南書が、交接器のランク付けをしていたようだ。ありとあらゆるものの番付表があるように、日本人はランキングを作るのが好きなのかも知れない。
女大楽宝開は女陰を10ランクに分類し、上から高、まん、蛤、蛸、雷、洗濯、巾着、広、下、臭いとある。
艶道日夜女宝記では、男根を9ランクに分類し、長、麩、小、下反り、上反り、太、雁、被、大とある。
女陰は物に例えているものが多いが、男根は見たままを言っているものが多い。なかなかのネーミングセンスだが、名前を考えたのは男である気がする。

女の立場から

新撰古今枕大全には、女性からの交合への願望が多く述べられいる。
助べひ故実之巻に、「男の癖で、女でさへあれば、大きなものを好むやうに言わるる故に、」とある。いつの時代も男の持ち物は大きいほうがいいと思ってしまうのは、男の性であるらしい。一物の大きさより、女の気持ちを高める技術が大事と説いている。

衆道の仕込み

好色旅枕には、一大事の秘密とて、初めて受ける若衆は、痛がるものであるから、山椒の粉を唾で練り入り口に挿入すると、しきりに痒くなるので、痛みを感じなくなるという方法が記されている。
衆道にかんする章は、使う場所が場所だけにとても綺麗とはいえない描写が多い。迫真の描写が続くので、「汚い・・・汚い・・・」とつぶやきながら読んだものだ。

御殿の奥

秘事作法という書は、備州岡山藩池田家の奥御殿に使えた、秀麗尼が著したとされる。この書には、若君の性器を鍛えるために行われていた作法が記されている。10歳になったら、会陰の按摩を丹念に行うとか、12歳になった殿の男根を、指で擦るだけでなく、口に含んで吸い、喉の奥まで入れ、先走りの淫水が出たら、すぐに止めて根本を揉むなど、本当に行われていたか、にわかには信じがたいことばかり記されている。著者は奥から民間に戻って生活した女性たちがたくさんいたから、奥での作法が漏れ伝わったのではないかと述べている。

独楽

全盛七婦玖腎には男の独楽道具として、吾妻形が紹介されている。専用の吾妻形は、性具職人が手仕事で作る高価な物で、庶民には手が届かないものだったようだ。そこでビロード、蒟蒻、マクワウリの3種類の吾妻形が代用品として、絵と共に紹介されている。現在でも使われる蒟蒻が当時から使われていたのは興味深い。蒟蒻を庶民が食べるようになったのは江戸時代かららしいので、300年近く愛されてきたことがわかる。マクワウリは一昔前にネットで流行ったカップ麺オナニーといったところか。

紹介

「江戸の閨房術」は絵図が多く掲載され、当時の風習を知ることができる名著である。Amazonなどネットでも購入できるので、ぜひ手にとって読んでいただきたい。